昔からよく使われているお茶にまつわる言葉、ことわざをご紹介します。
あなたが知っている言葉はいったいいくつあるでしょうか?
日本人に身近な茶がどれほど古来から人々の生活に密着していたか知りましょう。
故事・ことわざ一覧
朝に飲むお茶は、一日の災いから守ってくれるものと言われていることから、「朝一杯のお茶を忘れることなく飲め」という意味があります。
朝茶をいただく際に塩少々摘むことから、ごくわずかな物のことを言います。
朝のお茶は災難よけなので、飲むのを忘れて旅に出たら、たとえ七里の道を帰ってでも必ず飲むべきだという意味の言葉。(一里≒3km)
朝茶を飲めば、その一日一日の様々な災難を逃れることができるという意味で、昔から朝茶はいいものとされており、信仰のようなものさえあったようです。
朝、空腹にお茶漬けを食べても腹の足しにならない、まったくこたえないことから、ものごとが少しもこたえないことを意味する言葉です。
「茶の子」とは、朝食前にとる軽い食事のこと。そこから、「軽いもんだよ」という意味で使われるようになりました。
どんなに色男と呼ばれるひとであっても、多くの人を相手にする遊女にとっては茶漬け飯を食べるくらいのものだと言うこと。
贅沢な暮らしに慣れきってしまった人が、「うどんで茶を食う」ような他人が絶対にやらない奇抜なことにあえて挑戦し、喜ぶさまを表しています。
「お茶の子」とは、お茶に添えて出されるお菓子のこと。「さいさい」は、はやし言葉です。お茶の子がお腹にたまらない物であることから、お手軽・簡単な様子を表します。
適当なことを言ったり、いいかげんなことをしたりして、その場をつくろってごまかすことを例えていう言葉です。茶道を知らない人が、適当にお茶を濁らせて抹茶に見えるようにしたことが語源とされています。
茶の葉を挽いて抹茶を作るのが暇のある人の役割だったことから、特に用事があるわけではなく、暇であることを指す言葉です。特に、芸者や遊女などに客がつかず、商売が暇なことを言いました。
粗末な番茶でも、出したては香りが良いものです。このことから、器量の悪い女性でも、年ごろになれば、みな娘らしい魅力や色気が出てくることを例えて言います。
「甘茶」とは、茶ではなくユキノシタ科の落葉低木の葉を使った植物性飲料です。子供を甘やかして育てることは、その子の将来のためによくないという戒めの意味を込めた言葉です。
「長持ち」は、着物や寝具などを入れる長方形の箱のこと。「かんす」は、ヤカンや茶釜を指します。求める物によって、置き場所が違うため、それぞれのある場所へ行く必要があるということです。
濃い茶を飲むと興奮して睡眠の妨げになってしまうものの、一方で気持ちはスッキリすることを指します。お茶に含まれるカフェインという成分が刺激となって、このような作用をもたらします。
その道のことは、専門家に任せるのが一番だということの例え。能力や適性に応じたプロに任せれば、間違いないという時に用います。
抹茶を挽く時に使う石臼は、湿ると挽きが重くなります。また、なれ鮨(すし)用の重しは重い物。これらのことから、重い物の例えとして用いられます。
粗茶淡飯(そちゃたんぱん)とは、粗末なお茶と手短な食事のことで、それでも満腹になれば、そこで終わりにすること。心安らかに生きていくための心構えを説いたものです。
「袖引き煙草」も「押し付け茶」も、どちらも無理強いをすることの例えです。相手の都合も考えないで、もてなすという行為は、かえって迷惑につながるという意味をもっています。
「濁酒」とは「どぶろぐ」とも読みます。たとえ濁酒のような安い酒でも、酔わない茶よりはましだ、ということを例えた言葉です。
「茶臼」とは、お抹茶を作る時に茶葉を挽くためだけに用いられるのものであることから、一芸に秀でていることやその芸を指します。「多芸ながらもどれ一つ優れた芸がないこと」という解釈は誤用です。
真面目な話を冗談っぽく言うさま。また、その冗談に無理矢理結びつけてごまかしたり、騙したりすること。「茶化す」という漢字表記は当て字です。
茶殻のように捨ててしまう物でも、植木にやれば肥料になるように、世の中にまったく役に立たない物はないということを指した言葉です。
誰かが話しているところに割り入って、邪魔をしたり、ひやかしたりすること。悪気があってすることではなく、冗談でからかうことを指す時に用います。
お茶漬けと香の物(漬け物)といった、極めて粗末な食事のことをこのように言い表します。そのほか、サラサラしている物の例えとしても用いられます。
「ひしこ」とは、カタクチイワシのことを指します。お茶漬けのおかずとして、せめて「ひしこ」くらいはいただきたいというような、ささやかな望みを表したことわざです。
かつての日本では、年貢のために百姓が過剰な労働を強いられていた時代がありました。これはその頃の様子を例えてできた言葉で、茶袋を絞るほどにお茶が出るのと同じように、百姓は責めるほどに年貢や油などを出すという意味です。
人を裏切っては何度も寝返ったり、あちらこちらに心移りすることを、洒落て言ったもの。癇癪(かんしゃく)もちの人がお茶にのぼせてしまい、寝苦しく何度も寝返りを打つことが語源です。
お茶を飲んだだけでお酒など飲んでもいないのに、酔っぱらった振りをしてはぐらかしたり、素知らぬ振りをしたりして、他人からの追及を逸らそうとすることです。
何度もいれて、もう香りも残っていないお茶のこと。また、煎茶の味が薄いことを指します。
米を煎って作った「茶の子」と呼ばれるお茶請(う)けの煎り加減によって、その人の気質や心理などがわかってしまうという意味です
お茶をいただくことにより、十の徳が得られるという意味。「諸天加護(しょてんかご)」「無病息災」「父母孝養」「朋友和合」「悪魔降伏」「正心修身(せいしんしゅうしん)」「睡眠自除」「煩悩消滅」「五臓調和」「臨終不乱」の十徳とする説が有力です。
「茶の初穂」とは、最初にいれた香味豊かなお茶(煎茶や番茶)のことを指します。これを飲むと憎まれてしまうという俗説から、このように言われるようになりました。
本当に大切なお客様をもてなす時は、香り高いお茶を出すよりも、心から歓迎し、誠意を込めた対応をすることの方が重要であるということを説いています。
茶の道は「侘び」の心が基本にあるとされています。その心を理解できない者が、派手なことを嫌って貧乏の真似ごとをしているようだと例えたことわざです。
醒睡笑(せいすいしょう)という笑話集の一説にある言葉で、お茶をいただくことは、睡魔に負けないために最良の方法であることの例えです。 ※醒睡笑{せいすいしょう} 江戸初期の咄本(はなしぼん)。安楽庵策伝著。元和9年(1623年)成立。戦国末期から近世にかけて語られていた笑話を全編42に分類、集大成したもの。
「茶柱」とは、ほうじ茶や番茶などをいれた時、茶碗の中に立った状態で浮いている茶の茎のこと。俗説ですが、広く吉兆と言われています。他人に話さず隠しておく方が良いとの説もあります。
一杯のお茶を飲むだけでも、しばらくは空腹をしのげるものです。少しばかりの物でも、一時しのぎの助けになるということを表現した言葉です。
屋根ふきの職人はお茶ばかりをがぶ飲みしていて、たいして仕事をしないということを表しています。他に「屋根ふきの茶飲み」などとも言われます。
お茶がメインの茶屋では、すすめられなければ餅は食べにくい。そうしたことから、「商売のコツはすすめ方にある」ということを説いた言葉です。
「茶湯子(ちゃとうご)」は、末っ子という意味があります。末っ子または年をとってからできた子どもは、親にとってかわいくてたまらないということを言い表しています。
仏教では、お葬式の際にご飯の中央に箸を立てて死者にお仕えすることから、日ごろは忌(い)み避けられます。食事作法の戒めとして使われる言葉です。
自分以外の何かにつられて回る様子の例えとして使われます。もし、茶碗の中に針があって、それが回っていたとしても、針がひとりでに回ることはなく、あるとすれば磁石に引き寄せられ、つられて回っているのだ、という意味の言葉です。
経験から生まれたとされる「気象占い」の一つ。空気が湿っていて茶碗から飯粒がはがれやすいと雨が近いという意味です。
「もし茶碗を投げつけられるようなことがあれば、割れぬよう綿で受け止めよ」という意味から、相手が強気な物言いをしてきた場合などはあえて柔和な態度で受け止めた方が有利になるという教えです。
「茶碗を叩くと地獄の鬼が寄ってくる」「茶碗を叩くと餓鬼(がき)が寄る」などとも言われます。茶碗を箸で叩くことは行儀が悪く、マナー違反であることをうたった戒めの言葉です。
すずりにお湯やお茶をいれることを忌む俗信の一つです。「お茶ですった墨を使って書いた文書は遺書となり、それを書いた人は死ぬ」などと言われていました。
暇で時間をもて余しており、手持ちぶさたな様子。芸者や遊女などにお客様がつかず、暇な時に抹茶挽きをさせていたことに由来します。「お茶を挽く(ひく)」と言ったり、ただ「茶」と表すこともあります。
お抹茶を立てること。器に入れた抹茶に湯を注いで、茶筅(ちゃせん)でかき混ぜて泡立たせることから、このように表現しました。また、仏事や法事をとり行う場合にも「茶を立つ」という言葉を用います。
大は小を兼ねるという言葉がありますが、大きな搗き臼が小さな茶漬け碗の代わりになるわけではありません。そこから、どんな物にもそれに適した物があるということを表しています
昼間はひだまりで眠り、夜になるとふらふらと出歩く猫でさえ、時にはお茶を飲んでひと休みすることから。生意気で身分不相応な言動をすることを例えています。
腹を痛めて産んだ我が子のためには叱ってでもしつけをしてきたが、孫の場合はかわいさが先立って、なかなか厳しく叱ることができない。このことから、祖母が面倒をみてきた子どもは大方甘えた性格に育つという意味です。
「薄酒も茶よりは勝り、醜婦(しゅうふ)も空房よりは勝れたり」と続きます。読んで字のごとく、薄いお酒でもお茶よりは良い。たとえ美人でなくとも、女房がいないよりはいた方が良いという意味です。
あまりにおかしくて、笑わずにはいられないことを例える言葉です。聞くだけ馬鹿馬鹿しいこと、という意味もあります。ほかに「臍で茶を沸かす」「臍茶」とも言います。
お茶はいれたてが一番おいしいことの例え。また、お茶は疲労回復の助けになるとも言われますが、ひと晩経過した物は、酸化により品質が低下しており、飲まない方が良いという教えです。
品質が良いとされるお茶は、いただいた後も香りや旨みがずっと口の中に残るという意味です。
割ってしまった茶碗を慌てて継ぎ合わせようとしても無駄なように、もうどうしようもないこととわかっていながら諦めきれないことの例えです。
参考文献
三省堂「大辞林」「新解明 故事ことわざ辞典」「新明解国語辞典」
岩波書店「岩波ことわざ辞典」「岩波古語辞典」
小学館「大辞林」「故事・俗信ことわざ大辞典」「古語大辞典」
旺文社「成語林」故事ことわざ慣用句
創拓社「故事ことわざ活用辞典」
さいごに
お茶というワードだけでたくさん「故事」「ことわざ」があることがわかりましたね。
お茶のことわざから昔の人の考え方や生き方の片鱗が見えたと思います。
いろいろな考え方を踏まえ美味しいお茶の正解へどっぷりつかっていきましょう!
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