※本記事にはアフィリエイト広告を含みます。
オランダのスーパーの茶売場に立つと、いつも同じことを思います。紅茶、紅茶、紅茶。
棚一面が「thee」の箱で埋まっていて、そのほとんどが紅茶です。緑茶もないわけではありませんが、端のほうに数種類あるだけ。日本のスーパーで、煎茶・玄米茶・ほうじ茶・番茶が当たり前に並んでいた光景を思い出すと、同じ「お茶」なのにここまで違うのかと不思議になります。
なぜヨーロッパでは、緑茶ではなく紅茶が普及したのでしょうか。
この疑問について、私は2024年1月に一度記事を書いています。ただ、そのときに書いた歴史の説明にははっきりとした間違いがありました。オランダに来て日が浅く、調べ方も甘かったのです。
今回、資料をあたり直して全面的に書き直しました。どこをどう間違えていたかも、記事の後半で正直に書いています。同じ誤解をしている記事はネット上に多いので、そこも含めて読んでいただけたらと思います。
結論:紅茶が勝った理由は「味の好み」だけではありません
先に結論をお伝えします。ヨーロッパで紅茶が定着した理由は、大きく4つあります。
| 理由 | 中身 | どれくらい効いたか |
|---|---|---|
| ① 値段 | ヨーロッパに大量に届いていた安い茶が、そもそも紅茶(武夷茶)だった | ★★★ 最大の要因 |
| ② 輸送 | 半年以上の航海に、酸化させていない緑茶は耐えにくい | ★★☆ |
| ③ 水 | 硬度の高い水は紅茶を引き立て、日本茶からはキレを奪う | ★★☆ |
| ④ 砂糖とミルク | 砂糖という別の植民地商品と結びついた。ミルクを入れるなら紅茶 | ★★★ |
私が2024年に書いた記事は、このうち③と、あとは「味の好み」の話にほとんどを割いていました。でも調べてみると、いちばん効いたのは①と④、つまり経済の話だったようなのです。
順番に見ていきます。
理由①:ヨーロッパに届いていた安い茶が、そもそも紅茶だった
いちばん意外だったのがこれでした。
「ヨーロッパ人が紅茶を選んだ」というより、選べるほどの選択肢がなかったというのが実態に近いようです。
18世紀のイギリスで飲まれていたのは「武夷茶(ボヒー)」
18世紀、イギリスに大量に入ってきていた茶は Bohea(ボヒー) と呼ばれるものでした。これは中国・福建の武夷山でつくられた、酸化させた茶です。ヨーロッパ人が買える茶のなかでいちばん安く、だからこそいちばん多く輸入されました。
一方で緑茶は、Hyson(熙春/ヒーソン)のような高級品として少量が入ってくるだけでした。つまり、
- 紅茶(武夷茶)= 庶民が毎日飲める価格帯
- 緑茶 = 一部の富裕層が買う贅沢品
という住み分けができていたわけです。この時点で勝負はほぼついていました。
税金が「安い茶」への集中を加速させた
さらに事情を悪くしていたのが税金です。
18世紀のイギリスでは、茶にかけられる税が100%を超えることもざらでした。その結果どうなったかというと、1784年以前はイギリスの茶の75%以上が密輸品だったと言われています。
これを変えたのが 1784年の減税法(Commutation Act) です。茶にかかる税を 119%から12.5%へ一気に引き下げました。密輸のうまみを消して、正規の輸入で税収を得る方向に舵を切ったのです。
効果は数字に出ています。イギリス人1人あたりの茶の消費量は、
- 1851年:年間2ポンド(約900g)未満
- 1901年:年間6ポンド(約2.7kg)超
へと膨れ上がりました。
そしてこの「安く大量に」流れ込んできた茶が、ぜんぶ紅茶だったのです。価格で普及した飲みものは、その価格帯の商品の味が国民の標準になります。紅茶が「ヨーロッパの味」になったのは、おいしかったからというより、それしか大量にはなかったからだと考えたほうが実態に近そうです。
理由②:長い航海に耐えたのは、酸化させた茶葉だった
もうひとつ、地味ですが効いたと思われるのが輸送です。
当時の航海は、喜望峰を回って片道で半年から1年かかりました。茶葉は木箱に詰められ、湿気と高温と揺れのなかを運ばれていきます。
ここで緑茶は不利です。緑茶は摘んですぐ熱を入れて酸化酵素を止めた茶で、いわば「これ以上変化させない」ことを前提に作られた製品です。その状態を保ったまま赤道を2回越えるのは、当時の梱包技術ではかなり厳しかったはずです。
対して紅茶は、すでに酸化させきってある茶葉です。これ以上大きく変質する余地が少ないぶん、長い船旅に向いていました。
ここは私の推測が混じっています
ただし正直に書いておくと、「紅茶のほうが航海に耐えたから普及した」という説明は、一次史料でがっちり裏づけられた定説ではありません。よく語られる説明ではありますが、実際にどれだけ効いたかを数字で示した資料に、私はたどり着けませんでした。
確かなのは、価格と税の話(理由①)のほうです。輸送の話は「そう考えると筋が通る」という補助線として読んでいただければと思います。
なお、オランダ側の記録に残る最古の茶については、面白い話があります。ライデン大学のシュレーゲルという研究者が1900年にVOC(オランダ東インド会社)の記録を精査したところ、確認できた最古の茶は 1650年末の帰り船に積まれていた「日本茶22斤(約13.75kg)」 でした。
つまりオランダの記録に最初に現れる茶は、日本の茶だったのです。この話は長くなるので、後ほどあらためて触れます。
理由③:水が違います(ここは実際に飲んで確かめました)
ここからは、私が実際にオランダで暮らしながら感じていることです。
アムステルフェーンの水道水は、日本の約3倍の硬さ
訂正があります。2024年版の記事で私は「オランダの平均硬度240mg/L」と書いていましたが、これは正確ではありませんでした。
私が住むアムステルフェーン一帯に水を供給しているWaternet社の公表値は 7.8°dH(ドイツ硬度)。日本でおなじみの mg/L(炭酸カルシウム換算)に直すとおよそ140mg/Lです。
| 水 | 硬度の目安(mg/L) | 分類(WHO基準) |
|---|---|---|
| 日本の水道水(全国平均) | 約49 | 軟水 |
| アムステルフェーンの水道水 | 約140 | 硬水 |
| パリ | 約190〜280 | 硬水〜非常な硬水 |
| ベルリン | 約250 | 非常な硬水 |
| ロンドン | 約260〜340 | 非常な硬水 |
※供給地区によって幅があるため目安です。WHO基準:軟水〜60/中程度60〜120/硬水120〜180/非常な硬水180〜(mg/L)
240ではなく140。数字は下方修正になりましたが、日本の約3倍という結論は変わりません。そして注目していただきたいのは、オランダはヨーロッパのなかではむしろ軟らかいほうだということです。ロンドンは日本の5〜7倍。紅茶の国が、ヨーロッパでもとりわけ硬い水の土地にあるのは、偶然ではないのかもしれません。
飲むと、はっきり違います
数字よりも、飲んだときの感覚のほうが伝わりやすいと思います。
こちらの水道水を飲むと、喉を通るときにザラっと擦れる感覚があります。そして後味が、日本の水道水とはまるで違う。いちばん近いのは牛乳を飲んだあとの感じです。いい意味で濃厚、悪い意味ではすっきりしない。喉が潤いきらないのです。
紅茶は映え、日本茶はキレを失います
この水でそれぞれのお茶を淹れると、こうなります。
紅茶を硬水で淹れると — 水色がより鮮やかな赤に出て、とてもきれいです。コクも軟水で淹れたときよりどっしりします。紅茶は、硬水で淹れたほうが「らしく」なるお茶だと思います。
日本茶を硬水で淹れると — 日本茶特有のキレがなくなり、少し重たい印象になります。実際に「土佐の緑茶」をオランダの水道水と市販の軟水(SPA)で淹れ比べた結果は別の記事にまとめましたが、いちばん落ちたのは香りでした。5段階評価で2.5 → 1.5。まるまる1ポイントです。甘みも減り、そのぶん渋みだけが前に出てきます。
関連記事:オランダの水道水で日本茶を淹れると味はどう変わる?市販の軟水と飲み比べて分かったこと
この土地の水は、紅茶の味方をして、日本茶の足を引っ張ります。毎日その水でお茶を淹れている人たちが紅茶に寄っていくのは、味覚の問題というより環境の問題です。
※ちなみに・・・「沸騰させれば軟水になる」のか
2024年版で私は「沸騰した硬水は軟水の飲み心地に近づくが、冷めると元に戻る」と書きました。感覚としては今もそう感じています。ただ、理屈のほうは補足が必要です。
水を沸騰させると、硬度のうち一時硬度と呼ばれる部分(炭酸水素カルシウムなど)が炭酸カルシウムとして析出します。ケトルの内側に付く白い水垢がそれです。この分は確かに減ります。
ただし永久硬度と呼ばれる部分は沸騰では減りません。そして一度析出したカルシウムは、冷めても水に戻りません。ですから「冷めたら元の飲み心地に戻る」という私の感覚は、硬度が戻っているのではなく、温度による口当たりの違いを見ている可能性が高いと考えています。ここは私の体感であって、化学的な裏づけのある話ではありません。
理由④:砂糖とミルクに合ったのは、紅茶でした
そして最後、これが理由①と並ぶ大きな要因だと思います。
イギリスの紅茶には、砂糖が入っています。
これは味の好みの話に見えて、実は経済の話です。紅茶が普及していった時期、砂糖もまた西インド諸島の植民地から大量に流れ込んできた商品でした。同じ貿易ルート、同じ経済圏の産物です。
安い茶と安い砂糖が同時に手に入るようになれば、その2つが結びつくのは自然な流れでした。そこにミルクが加わります。
そしてミルクと砂糖を入れる前提なら、緑茶は不利です。緑茶の魅力は、うま味と、立ちのぼる青々しい香りと、すっと引く後味にあります。そこに乳脂肪と甘みを入れてしまえば、繊細な部分はほとんど消えてしまう。一方の紅茶は、ミルクを入れても負けないコクと渋みを持っています。
「ミルクと砂糖を入れる飲みもの」という枠が先にできてしまえば、そこに入れる茶葉は紅茶しかありません。
ここからは私の推測です
ここに、体格と食文化の話が乗ってくるのだと思っています。
こちらで暮らしていると、オランダの人はとにかく体が大きいと実感します。食事も味付けの濃いものが主流です。かつてヨーロッパが肉の臭みを消すために胡椒を大量に輸入していた歴史を思えば、しっかりした味わいのものが好まれる土壌は昔からあったのでしょう。
ただ、これは私の推測です。「体が大きいから濃い味を好む」は科学的に検証された話ではありませんし、味の好みを国民性で説明するのは危うい面もあります。実際、日本の緑茶よりずっと繊細な中国緑茶が中国で愛されていることを考えれば、体格の話だけでは説明がつきません。
訂正:2024年版で私が間違えて書いていたこと
ここからは、前の記事の訂正です。ネット上に同じ間違いが広く出回っているので、丁寧に書いておきます。
| 2024年版で私が書いたこと | 実際 |
|---|---|
| イギリスは植民地にしたアフリカなどで紅茶を栽培した | 先はインドとセイロン。アフリカ(ケニア)はずっと後 |
| 作り方が正確に伝わらず、輸送中に発酵が進んで紅茶が生まれた | 紅茶は中国で意図的に作られていた製法。偶然の産物という話は俗説 |
| 紅茶は「発酵」させる | 微生物発酵ではなく、茶葉自身の酵素による「酸化」 |
① 紅茶を最初に作ったのはアフリカではありません
イギリスが自前で紅茶を作れるようになった順番は、こうです。
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1838年5月 | アッサム産の茶12箱がロンドンへ。インド茶の商業的な出発点 |
| 1839年 | ロンドンでアッサム茶の初競売。アッサム会社設立 |
| 1867年 | セイロン(スリランカ)でジェームズ・テイラーがルーラコンデラ農園に約19エーカーの茶を植える |
| 1888年 | イギリスのインド茶輸入量が、初めて中国茶を上回る |
| 1903年 | ケニアにG.W.L.ケインが茶を持ち込む(リムル) |
| 1924年 | ケニアでブルック・ボンドが最初の商業農園を開設 |
つまりアフリカでの紅茶生産は20世紀の話です。私が書いた「植民地にしたアフリカで栽培し、そこからイギリスへ運ぶ途中で……」という筋書きは、時代が100年近くずれていました。
ちなみに1888年という年が、個人的にはいちばん象徴的だと思います。この年を境に、イギリスの茶は中国のものではなくなりました。中国から茶を買うために銀を払い、やがて阿片を売るようになり、最終的には自分の植民地で作れるようにしてしまった——という流れの終着点がここです。
② 紅茶は「偶然できた」わけではありません
「船で運んでいるうちに発酵してしまって紅茶になった」という話は、日本語のサイトでもよく見かけます。私も信じて書いてしまいました。
けれど紅茶(酸化させた茶)は、17世紀の中国・福建の武夷山ですでに意図的に作られていました。いわゆる正山小種(ラプサンスーチョン)です。萎凋させ、揉んで、酸化を進ませ、松の煙で乾かす。偶然できるような工程ではありません。
ヨーロッパ人は、できあがった製品としての紅茶を買っていたのです。作り方が伝わらなかったのではなく、そもそも作っていたのは中国側でした。
③ 「発酵」ではなく「酸化」です
これは細かい話ですが、専門性に関わるので直しておきます。
紅茶を作る工程で起きているのは、茶葉自身が持つ酸化酵素(ポリフェノールオキシダーゼ)による酸化です。りんごを切って置いておくと茶色くなる、あれと同じ現象です。ヨーグルトや味噌のような微生物による発酵ではありません。
日本茶(煎茶)は、摘んだらすぐに蒸してこの酵素を止めます。緑茶と紅茶の分かれ道は、この「酵素を止めるかどうか」の一点です。同じ木の同じ葉から、どちらも作れます。
- 緑茶 = 摘んですぐ蒸す/炒る → 酸化を止める → 青々しい香り、うま味、キレ
- 紅茶 = 萎れさせて揉む → 酸化を進める → コク、渋み、赤い水色
「別の植物なのですか」と現地の同僚に聞かれたことがありますが、同じ木です。この説明をすると、たいてい驚かれます。
では、ヨーロッパ人が最初に飲んだ茶は何だったのか
ここまで書いてきて、ひとつ引っかかっていることがあります。
日本ではよく「1610年、オランダ東インド会社が平戸から茶を運んだのが、ヨーロッパに渡った最初の茶。だから最初にヨーロッパ人が飲んだのは日本の緑茶だった」と言われます。私も、なんとなくそう思っていました。
ところが調べてみると、話はまったく決着していませんでした。
- 日本産説:1610年、平戸からバンタム経由。角山栄『茶の世界史』などが紹介
- 中国産説:1606年、厦門(アモイ)の商人から購入。オランダ語の thee が閩南語の「te」に由来することが強い証拠
- そもそも懐疑説:1900年にVOC記録を精査したシュレーゲルが確認できた最古は1650年。1610年という年号を裏づける一次史料は示されていない
面白いのは、日本産説の出典とされる角山栄自身が「〜といわれている」「もしそうだとすれば」と、断定を避けて書いていることです。それが日本のサイトで引用されるうちに、いつのまにか断定形になってしまっています。
この話は、それだけで1本の記事になります。VOCの本拠地アムステルダムに住んでいるので、海洋博物館や国立美術館で実物を見てきたうえで、あらためて書くつもりです。このブログでいちばん書きたいテーマです。
それでも、緑茶の棚は少しずつ増えています
最後に、現在の話をさせてください。
「ヨーロッパ=紅茶」という構図は400年かけてできあがったもので、簡単には動きません。味の好み、水、砂糖とミルクの文化、そして流通。どれをとっても日本茶には不利です。
ただ、こちらで暮らしていると確実に変わってきているとも感じます。
日本食のブームは衰える気配がありませんし、抹茶に至っては完全にブームです。カフェのメニューに matcha latte が当たり前に載っていますし、スーパーにも抹茶味の菓子が並ぶようになりました。
そしてオランダ最大の茶ブランドであるPickwickも、緑茶の商品を出しています。実際に飲んでみた感想は別の記事に書きましたが、日本の煎茶とはまったく別の飲みものでした。
関連記事:Pickwickの緑茶は日本茶の代わりになる?オランダの国民的ブランドを正直にレビューします
抹茶で日本茶に入ってきた人が、次に煎茶にたどり着く。そういう順番はあり得ると思っています。そのときに「ヨーロッパの水で、日本の煎茶をどう淹れればおいしいのか」という情報が必要になるはずです。このブログでそれを書き続けたいと思っています。
いつかこちらのスーパーの棚に、まともな煎茶が並ぶ日が来ますように。
まとめ
- ヨーロッパで紅茶が普及した最大の理由は価格。18世紀に大量に入ってきた安い茶(武夷茶)が、そもそも紅茶だった
- 砂糖とミルクの文化と結びついたことも決定的。この枠に緑茶は入れない
- 水の硬度も効いている。硬水は紅茶を引き立て、日本茶からは香りと甘みを奪う(アムステルフェーンは約140mg/L、日本の約3倍)
- 紅茶は偶然できたのではなく、17世紀の中国・武夷山で意図的に作られていた
- イギリスの紅茶生産はインド(1838年)→セイロン(1867年)→ケニア(1903年)の順。アフリカは20世紀
- 紅茶の「発酵」は正確には酸化。緑茶と紅茶は同じ木の葉から作られる
よくある質問
Q. 緑茶と紅茶は別の植物ですか?
同じ植物です。どちらも Camellia sinensis(チャノキ)の葉から作られます。違いは製法だけで、摘んだあとすぐ加熱して酸化を止めれば緑茶、萎れさせて揉んで酸化を進めれば紅茶になります。烏龍茶はその中間です。
Q. ヨーロッパで日本茶を買うことはできますか?
一般のスーパーでは、日本の煎茶に近いものはまず見つかりません。中国産や、複数産地をブレンドした「green tea」がほとんどです。現実的な選択肢は、アジア食材店か、日本茶を扱うオンラインショップです。私は日本から持ち帰ったものを大事に飲んでいます。
Q. 硬水しかない国では、日本茶をあきらめるしかないですか?
そんなことはありません。市販の軟水を使えば、日本で飲んだときの味にかなり近づきます。ボトルのラベルでカルシウムが10mg/L前後以下のものを選べば、まず外しません。ヨーロッパのスーパーで手に入るものだと、ベルギーのSPA Reine(硬度約16mg/L)が優秀です。日常飲みは水道水、日本から持ち帰った良い茶葉だけ軟水、という使い分けをおすすめします。
Q. 硬水で日本茶を淹れると、体に悪いことはありますか?
ありません。味と香りの出方が変わるだけです。むしろ硬水はミネラルを含んでいるぶん、飲みものとしては何の問題もありません。おいしさの話だけです。
Q. なぜイギリスは紅茶にミルクを入れるのですか?
諸説あります。よく言われるのは「熱い茶で磁器のカップが割れるのを防ぐため、先にミルクを入れた」という説ですが、確たる裏づけは見つけられませんでした。確かなのは、紅茶が広まった時期に砂糖も同じ植民地貿易で大量に流入していたということです。ミルクと砂糖を入れる飲みものとして定着した、という経済的な背景のほうが説明としては強いと思います。
参考にした情報源
- UK Tea & Infusions Association「History of Tea」(1888年にインド茶の輸入が中国茶を上回る/1851年と1901年の1人あたり消費量)
- Commutation Act 1784(茶税を119%から12.5%へ)
- Intoxicating Spaces「Tea, Tax, and Smuggling」(18世紀のイギリスで飲まれていたのは安価な武夷茶/1784年以前は75%以上が密輸)
- Indian Tea Association「History of Indian Tea」(1838年5月、アッサム茶12箱がロンドンへ)
- James Taylor / Loolecondera(1867年、セイロンでの茶栽培の開始)
- Tea Board of Kenya ほか(1903年 G.W.L.ケイン/1924年 ブルック・ボンド)
- Smithsonian Magazine「The Great British Tea Heist」(ロバート・フォーチュンによる緑茶着色の発見)
- Waternet「Tap water hardness in and around Amsterdam」(アムステルダム周辺の硬度 7.8°dH)
- 角山栄『茶の世界史』(中公新書)
- G. Schlegel “First Introduction of Tea into Holland”, T’oung Pao (1900)(VOC記録上最古の茶=1650年の日本茶22斤)




コメント